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グランサンクタス淀屋橋(旧八木通商ビル)

2021.03.19

■竣工 : 大正7年(1918年)改修:昭和2年(1927年)

■設計:辰野金吾・片岡安事務所

■施工 :清水組(現在の清水建設)

■構造 :鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階

■住所:大阪市中央区今橋3-2-1

船場の中でもひときわ歴史的建築が多く残る、三休橋筋にそびえるグランサンクタス淀屋橋。

低層階の外壁のみ歴史的遺産の建築を残し、内部~高層階はマンションです。こういったやり方を「ファザード保存」と呼びます。ファザードとはフランス語で建物正面のデザインを指す語句です。以前ご紹介した大阪証券取引所のビルも同じ類の工法で建てられた建築でしたが、今回のように一般住宅として活用されてるのは大変珍しいことです(全国的にもはっきりとしたことは分からず、関西では確実にここ一件だけだそう)。これについては後ほど触れるとしまして…。

意匠設計は辰野金吾。しかし…

このグランサンクタス淀屋橋は、大正7年に東京駅の設計で知られる名匠・辰野金吾(過去このブログでもオペラドメーヌ高麗橋を紹介しました。今回のグランサンクタス淀屋橋から目と鼻の先の距離にあります)の手によって設計されました。建設当初の用途は大阪農工銀行という金融機関。やはり現存するような立派で頑丈なものは銀行建築が多いですね。

外観を見て、辰野作品のトレードマークともいえる赤いレンガの外装でないことを疑問に思う方も多いと思います。

オペラドメーヌ高麗橋にも見られる、辰野金吾らしい赤レンガの外装(ほかに東京駅など)
オペラドメーヌ高麗橋にも見られる、辰野金吾らしい特徴ある外装(ほかに東京駅など)

実は竣工から9年後という早い段階で、道路の拡張工事に伴う大改修を余儀なくされ、滋賀県庁舎本館(登録有形文化財)の共同設計などで知られる国枝博によってテラコッタタイルに張り替えられたのが現在の姿のベースになっています。

あの辰野式のシンボルが早々に取り去らわれてしまったことは、今となっては大阪建築史的にも大きな損失だったと言えるのではないでしょうか。(厳密にはこの改修時には建物の裏側だけ赤レンガが残されていたそうです)また、タイルだけでなく、アール・デコの繊細で華やかな装飾を得意とした国枝によって、窓枠などのディテールもアラベスク文様のオリエンタルな仕様に変えられました。モスクのような雰囲気でエキゾチックな美しさを放っており、辰野金吾の作品というよりは、もはや完全に国枝博の建築作品と言ってしまった方が良さそうです。

その後時代は移り変わり、1968年にアパレル輸入商社の八木通商がここを本社として入居しました。
https://www.yagitsu.co.jp/corporate/hanashi/01.html

創業者の八木常三氏が大変に建築に興味のある人物だったためにこのビルを購入したと言われています。

そこから40年に渡り八木通商本社として機能してきましたが、2010年にオリックス不動産が所有権を得るに至りました(八木通商はここからすこし北上した土佐堀通り沿いに移転)。当初はこの場所を更地にして新しい分譲マンションを建設する予定だったそうで、通常の概念だと当たり前の流れだと思われます。

しかし、折角2000年代まで遺ってきた歴史的建築遺産。加えてこのあたりは、先述の通りとりわけ現存するレトロビルが多く立ち並ぶ貴重な地域で、保存を求める声も多くありました。

そこでオリックス不動産は、建設コストはかかるものの、歴史的建造物が分譲マンションの付加価値になると踏み、外壁を温存して新築マンションにくっつける難工事に挑むことになりました。総工費の1割が上乗せになったそうですが、充分ペイできると考えたのです。

また同時に、「船場建築線」と呼ばれる建築基準法第42条に基づく位置指定道路が存在するため、建物の位置を数メートル後ろにずらさねばならないという課題もありました。かくして、

・外壁の温存 ・さらにそれを移動させる ・新築マンションの建設、ジョイント

という大プロジェクトが2011年から丸二年かけて開始されました。

曳家工事

■竣工:2013年(平成25年)

■設計:IAO竹田設計

■施工:鹿島建設

■構造:鉄筋コンクリート造/地上 13 階、地下1階建

本工事に当たり、外壁を活かすために鹿島建設によって様々なアイデアが検討されました(分割したものをクレーンで吊り上げる案など)。しかし壁だけ切り取っても全長は30m厚みは40cm、総重量で600tもあり、分割した外壁をブロックごとに吊り上げるにせよその重量は最低10tにも及んでしまうため、この敷地に収まるクレーンでは持ち上げることができません。経年にもかかわらずコンディションが良くコンクリートの強度も十分ではあったものの、90年も経っているものにやはり手荒な工事は行えず、さまざまなシミュレーションの結果、「曳家工法」が選択されました。

https://www.kajima.co.jp/news/press/201212/10a1-j.htm

曳家工法とは、その名の通り家(建造物)を曳いて移動させるという建築工法です。主に歴史的建築物の温存に用いられる方法ですが、建物全体をジャッキで持ち上げレールに乗せて移動させるのがスタンダードなやり方。切り取った壁のみを曳くというのは倒壊の恐れも高く、難工事であることは明白で、綿密な下準備と細心の作業が求められました。

建物内部を圧砕機で取り除いた後、外壁が倒れないように内側を鉄骨で組み、H形鋼の梁とPC鋼棒で固定しました。H形鋼の梁は壁が内側に傾こうとする力に対して、PC鋼棒は外側に傾こうとする力に対してそれぞれ作用します。

ジャッキを使って抵抗を分散しながら外壁の地面付近からワイヤソーで切断。北側と東側の外壁をL字型を保ったままレールに乗せて油圧ジャッキで毎分6cmずつ、ゆっくりと横にすべらせました。2か月のあいだに3回に分けて大きく移動させ、内側に建設する新しいマンションの形状に合わせて形が整えられました。作業が完了したのは2012年の9月下旬でした。

ファザード保存の成功例

旧式の建物と新築の建築物は調和を取るのがなかなか難しいところではありまして、ファザード保存で挙げられる建築物は、悲しいかななんなら不評も多く聞く印象です。しかしこのグランサンクタス淀屋橋は、まず新築部分の色味をファザードに合わせてきていることと、外壁のアーチ型のレリーフに合わせて新築部の窓枠をすべて縦長に取っていることで、下層部のレトロな外観と絶妙にマッチしています。バルコニーにも細い柱を据えることで横長の長方形を縦割りにし、すべて縦長に見えるように徹底した工夫がなされました。

三休橋に設置されたレトロな街灯ともマッチし、独特の存在感を放っています。

ちなみに各部屋は売り出しと同時に瞬く間に完売し、オリックス不動産の目論見は見事当たったことになります。現在は所有者が賃貸として貸し出しているケースが見られ、このあたりの相場よりも大分とお高い印象。ブランド力があるということなのだと思います。

時代と共に段階を踏みつつ、ここまで形を変えながら今もなお現存し続けている建築というのは大変珍しい。

お近くに寄られた際は周囲のレトロビルを周りながらこちらのグランサンクタス淀屋橋にも立ち寄られてみられてはいかがでしょうか。

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