コラム 建築技術者が書く、リアルなお仕事コラム。
大阪瓦斯ビルヂング
■大阪瓦斯ビルヂング(通称:大阪ガスビル)
■住所:大阪府大阪市中央区平野町4丁目1−2
■竣工年:1933年(昭和8年)
■設計:安井武雄建築事務所 安井武雄(南館)・佐野正一(北館・1966年増築)
■施工:大林組(南・北館どちらも)
■2003年登録有形文化財認定
大阪を彩る近代レトロビルをこれまで少しずつ紹介してきましたが、ようやくここまで漕ぎつけた感があります。今回は御堂筋のど真ん中にそびえ立つ、大阪瓦斯ビルヂングです。設計は後に安井建築設計事務所と名を改めます、安井武雄建築事務所によるもの。
今更説明も不要ではありますが、安井武雄は大阪を代表する近代建築の父であり、彼が設計したこの『大阪瓦斯ビルヂング』『高麗橋野村ビル』『大阪倶楽部』の三つは令和の今もなお現役で稼働する生きた建築です。
この大阪瓦斯ビルは1933年3月に竣工。それを追うように5月には大阪で初めての地下鉄が開通しました。梅田~心斎橋間をつなぐ『御堂筋線』の登場で、周囲の賑わいは一気に加速。瓦斯ビルは御堂筋の歴史ともに歩んできた、まさに大阪の発展の象徴ともいうべき建築物と言えるでしょう。御堂筋のど真ん中、今でこそ周囲にはもっと大きく立派なビルも立ち並びますが、平野町の交差点にどーんと構える圧倒的な存在感。施工から90年近く経った今でもそのオーラは健在です。
一般的に外装はアールデコ様式に近いとされていますが、当時「東洋のシャンゼリゼ」と評された御堂筋の景観とガス事業を生業とする企業の本社ビルであること、など諸々の理由から導かれた複合的結果の意匠であったと安井武雄は説き、近代合理主義様式とその他多様な建築様式を取り入れた、『自由様式』というオリジナルの建築様式を開拓しました。
これ以降も武雄は、「○○式」などという枠にとらわれない、ある意味いいとこ取りとも言える独創的な建築を後世に残していきました。
華やかなりし「大大阪」のランドマーク
当時の大阪は、日本で一番経済が回る街。人口においても、この前年に東京に日本一の座を奪還されるまでは世界でもなんと6番目に数えられるほどで、「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれまぎれもない日本の中心都市として機能していました。
そんな大阪のメインストリートのど真ん中に建てられた大阪瓦斯ビルヂング。開業当時は最新ガス機器類の展示や美容室、カフェ、料理講習室・・・などなど市民が利用するための施設がたくさん作られました。
豪華な講演場では時代の寵児エンタツ・アチャコが漫才で客を沸かせ、当時公的にはまだ禁制とされていた洋画などの上映も行われました。モボ(モダンボーイ)・モガ(モダンガール)と呼ばれた流行に敏感な若者にとって、瓦斯ビルの頂上階にあるガスビル食堂でカレーライスと珈琲を味わうのが当時の最新トレンドであり、ハイカラの象徴でした。
大阪を代表する作家の織田作之助もガスビルに通った一人。作之助は瓦斯ビル内にあった学士会倶楽部の中の将棋クラブに所属し、ガスビル食堂で将棋を嗜みました。
彼は裕福でない家に育ち、病とともに不遇の青春時代を過ごしました。20代後半になりようやく文壇界で認められ、「夫婦善哉」の上梓で名実ともに絶頂を得た作之助。モダンな文化の中心を担い、豊かな暮らしの象徴でもあった憧れの大阪瓦斯ビル(しかも学士会員として)の出入りが可能になったということは、自身の成功を噛みしめるにふさわしいステイタスであったといいます。早逝した彼の人生における栄光はあまりに短いものでしたが、その輝かしい瞬間は間違いなくこの瓦斯ビルとともにありました。
「世界一」の建築
そんなモダン大阪のシンボルとなった大阪瓦斯ビルヂング。
建設段階から、大阪瓦斯の安田博社長の希望のもと、世界一のビルを建てるべく、当時最高とされた最先端の建材が世界中から集められました。例えば現在も使用されている窓枠はドイツ製のステンレススチールを用いたもの。当時の日本ではここ以外でなかなかお目にかかれないような貴重な代物でした。このサッシに加え同素材の頑丈なシャッターを全窓に設置。過剰なまでの設備にも思われましたが、その後時代は太平洋戦争に突入します。全窓のシャッターを下ろした日がたまたま大阪大空襲となり、周囲が焼け野原になったなかこの大阪瓦斯ビルのみだけが上層階の一部焼失にとどまることができたという逸話が残っています。のちの大阪ガス社長・会長となる西山磐氏は、その当時を述懐し、設計者安井武雄の優れた見識に頭の下がる思いだと述べています。
このように独創的な意匠性はもちろんのこと、設備においても世界で一番と呼ぶにふさわしい建築なのでした。
大阪瓦斯ビル北館の新設
その後30年余り経ってからのこと。北側の間隣に新館を増築するにあたり、今度は安井武雄の娘婿である佐野正一に設計のバトンが繋がれます。竣工は1966年。
武雄が創造したモダンなデザイン性をしっかりと引き継ぎ、黒い庇やユニークな曲線の張り出しなどはそのままに、横6つを1ブロックとした現代風な窓のアレンジがなされ、新しい鉄骨技術が用いて旧館よりも窓枠自体が大きく取られました。また内部においてはよりオフィスビルに特化した作りになっており、機能性を高めた設計になっています。外壁のタイルは30年前のものと違和感ない風合いのものを使用し、新旧の破綻ない一体感を実現しました。
結果、自然な調和の中で南北違う表情が感じられるという、新たに不思議な魅力を得たビルになりました。
時代に馴染む力強さ
その新館の増築からも、さらに50年以上もの月日が経過しました。
これまで紹介してきたレトロビルはいかにも豪奢で西洋建築の影響がもろに反映された建築物が多く、時代の重みを目にも分かりやすく訴えかけてくるものが多かったのですが、この大阪瓦斯ビルは非常に近代的であり、周りのビルと比較しても浮くことがなく今の大阪の街にマッチしています。そして冒頭で述べた通りただならぬ重厚な存在感だけは放ち続けていて、明らかな異物感とは違うのに、これって実はすごいことではないかと思います。自由様式と書きましたが、当時にしては未来的な建築だったのか、安井武雄の意匠性が恒久的なものであったのか、とにかくただ懐古的なだけでなく、現代に見劣りしない純粋に立派な建築物として今日も御堂筋の往来を見守っています。
ガスビル食堂ではカレーなども創業当時の味を味わうことができるので、一度立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。
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