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高麗橋野村ビルヂング(大阪市中央区高麗橋)

2021.01.28

■設計 - 安井武雄(片岡建築事務所)

■竣工 - 1927年

■施工 - 大林組

■構造 - 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上7階、地下1階

■住所:〒541-0043 大阪府大阪市中央区高麗橋2丁目1−2

今日ご紹介するのは、弊社から徒歩5分ほど、堺筋沿いを北に上がったところにあります高麗橋野村ビルヂング

当時の大阪では、野村徳七が野村証券をはじめとした金融業を次々と拡大させ、野村財閥として一大グループを形成。大阪野村銀行堂島支店(1922年)と、大阪野村銀行本店(1924年)を建設した際に設計を任せられたのが当時片岡建築事務所に所属していた安井武雄です。この二つの設計で腕を認められた安井武雄は徳七の後ろ盾により安井建築設計事務所を設立。この高麗橋野村ビルヂングも手掛けるに至りました。

前回のこのシリーズで取り上げた大阪瓦斯ビルヂングなども設計もした安井武雄ですが、このビルは大阪瓦斯ビルよりも6年前に建てられた建築です。

当時では珍しいSRC造の建築物。堺筋の通り沿いの間口は広いですが、奥行きがない敷地なのに加え、当初から貸テナントを目的として建てられていたため、全体の造形は遊びが少なくシンプルな箱型の四角形です。それゆえに、敷地いっぱいどーんとそびえたつ姿は、剛健な力強さを感じさせます。

外見には分かりやすい豪奢な装飾はほとんどない代わりに、細部にまでこだわりを持たせたデザインが見受けられるのが特徴。

そのこだわりの一つと言えるのが腰壁のせり出し。

写真二枚目で確認できる通り、上下階を繋ぐ壁が前傾したデザインになっており、それに伴い陶器瓦の庇もすべて歪曲しています。これはドイツ表現主義で知られるエーリッヒ=メンデルスゾーンが1923年に設計を手掛けた、ベルリンの新聞社屋などにみられる特徴のひとつ。ドイツで最先端だった建築様式がわずか4年で日本の大阪まで伝わって来ていたというのが驚きです。

正面玄関で異彩を放つのが写真一枚目、玄関の両サイドにある独特な柱…というかモニュメントです。

一見して三日月がモチーフなのは分かりましたが、その下は何なのだろう?と調べてみたところ、これは竹なのだそう。なるほど…。この変わった彫刻はイスラム風とのことですが、たしかに砂漠の宮殿も想起させるようなデザインです。この手のレトロビルに多く見られるのは西洋風のアレンジですが、それらとは一線を画すオリエンタルな雰囲気を醸すこの野村ビルヂング。竹で和のテイストを出しているといったところでしょうか。そのほかにも和風な雰囲気はそこかしこで感じられます。

まず外壁の色はモルタル塗装された、土壁を思わせる濃い黄土色。(一階の壁面は凝灰石とタイルで装飾されています。)さらに写真三枚目、一階の上部にある採光窓は障子を思わせるデザインです。先述の瓦と土壁と合わさって、日本家屋の趣も色濃く反映されています。

安井武雄は「自由様式」という型にはまらないいいとこどりの建築様式を編み出しましたが、この建築でもそのオリジナリティが遺憾なく発揮されています。近代的なビルに囲まれた貴重な昭和の遺産。是非お近くを通られた際には立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。

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